2006.11.30

ドロヘドロ

みなさんお久しぶりです。
最近は毎日卒論書いてるだけで何のイベントも起きてないです。
書くことがないっていう意味です。

また俺の過去の話をちょっとだけ書きます。今日の内容は誰にも同意を得れないと思います。


泥だんごの思い出

俺はこの時期になると小学生の頃に泥だんごを作ったことを思い出す。
誰がいつ始めたのかはさっぱり分からないが、泥だんご製作は俺と一緒に登下校していたグループの中では冬の風物詩的な行事だった。

「寒くなってきたな、今年もそろそろ始めるか」

「そうやね、もうそんな時期か。じゃあ今日の放課後開始ね」

↑こんな感じ。

泥だんごにも色々な種類がある。とりあえず丸めて人に投げつけて遊ぶやわらかくて大きなもの、こぶし大の大きさに丸めて磨き上げて光沢を出し、飾って楽しむもの等である。

数ある泥だんごの中で俺達が目指した泥だんごは硬い泥だんごだった。とにかく硬い泥だんごを作ることに俺達は夢中になった。
なぜ硬い泥だんご作りに執拗にこだわったのかはさっぱり思い出せない。

ただ、一番硬い泥だんごを作った奴に毎年尊敬の眼差しが注がれていたのは間違いない。あほ過ぎる。

泥だんごを硬く鍛える期限は1週間。その1週間に俺達は自分の全存在をかけて泥だんごを硬く鍛えた。

硬い泥だんごを作る上での一番のポイントは当然土選びである。粘りのある粘土質の土を選ばなくては硬い泥だんごは作れない。

小学校の焼却炉付近の土手の土が鉄分を多く含んだ赤色の粘土(通称:あかつち)で、ベストオブ土だった。
林の中の、腐敗した植物などを多く含んだ土(通称:くろつち)を使ったりしたらその時点で負けは決定である。

「俺、今年はくろつち使ってみようかな?」なんて言うやつはただのあほだ。でくのぼうだ。勝手に使えば?って感じ。

当然全員あかつちを選んで泥だんご作りはスタートするのだが、この時重要なのは最初に丸める土の量である。作る泥だんごに大きさの指定はなかったのだが、いきなり多くの土を使い、大きな泥だんごを作り始めてしまうと核(コア)の部分が鍛えられずやわらかい状態になってしまう。

そこで、誰もが最初は小さな泥だんごを作成した。核になる部分をまずは硬く鍛えたのである。

俺も当然その手法を取っていた。そして性格上誰よりも完全な球体を目指した。初日はひたすらビー玉くらいの大きさの泥だんごをぎゅーーー!!っと握りつぶし、密度を高めた。そうして徐々に球体に仕上げていった。
家に着いたらストーブの上でころころ転がしながら焼いた。粘土は焼けば硬くなる気がしていたのだ。実際硬くなるのかは未だに知らない。

翌日は朝から焼却炉の中に泥だんごを放置していた(昼休みにゴミと一緒に焼かれる)。
泥だんごの中に空気が残っていたものはこの時点で割れてしまう。焼却炉で泥だんごを焼くのはなかなか勇気がいったが、最強最硬を目指すものはみんな同じことをしていた。

放課後、焼却炉から自分の泥だんごを取り出し、割れていなかった場合は灰をたくさんまぶして、さらに赤土を足して大きくしていく、これを4日間くらい繰り返し、最終的にはピンポン玉ほどの大きさの硬い泥だんごとなるのである。

この時点で、自分の泥だんごに対する愛着が半端ではない。恋人の感覚である。寝ても冷めても泥だんごのことだけを考えてしまう。俺は自分の泥だんごにアポカリプスという名前まで付けていた。

そんな泥だんごへの想いが最高潮に達したとき、期限の1週間を迎えるのである。

誰の泥だんごが一番硬いのか?そんなどうでもいいことを決定しなくてはならない。

誰もが自分の泥だんごとの別れを惜しんでいるのは目に見えて分かるのであるが、これがルールであり、勝負の世界である。

その日、俺達は涙を堪えながら自分の泥だんごを力いっぱい壁に投げつけなければならなかった。何回投げつけたところで粉々になるかによって勝負は決まった。

今思えばこの決定の仕方は絶対おかしいと思うが、当時は理にかなった勝負のつけ方だと思っていた。

優勝者の泥だんごすらも手元には残らない勝負が終わり、誰かがこう言う。

「それじゃ、また明日から泥だんご作り開始ね」

「うん」

おわり


今日の記事も死ぬほど面白くないですね。もう何がなんだか。

Posted at 16:32 | エッセイ | COM(17) | TB(1) |
2006.11.15

泣き虫

短文だったので、今日は2本立てです。

小学校の頃のクラスメイトにI田君っていう泣き虫の男の子がいました。
ものすごい泣き虫な子でした。

俺の足に勝手につまずいて転んだときも

「・・・えくえっく・・わー!キッチン君が足引っ掛けたーー!!」

と先生に泣き叫びました。

俺は何が何だか分からなかったです。

他には、I田君が鼻くそをほじるのをぼーっと見ていたのがバレただけで号泣されたことがありました。

俺は何が何だか分からなかったです。



そんなI田君



昨年、駅で女子高生の下着を盗撮して捕まったそうです。


おわり

↑おそらく号泣

Posted at 16:10 | エッセイ | COM(25) | TB(0) |
2006.11.08

サッカー少年の夢

みなさんお久しぶりです。
最近色々と忙しくてブログの更新ができませんでした。みなさんのブログも訪問できなくてすみません。近々寄らせていただきます。

今日は小学校2年生の時に地元のPK(ペナルティーキック?)大会に友達と5人で出場したときの話です。サッカー好きの方はよだれが止まらない記事になると思われます。

PK大会に出たときの俺らのチーム名は「オヤジーズ」でした。
今思うと吐き気がするほどの面白くない最低のネーミングセンスですが、当時の俺達は「イケル!!」と思ったのです。

ここからはサッカー大好き少年5人組オヤジーズが起こした奇跡の話です。


試合のほうは1回戦で負けました。


ダサいTシャツを参加賞でもらってそそくさと帰ることになったオヤジーズ。

チームリーダーNの親の車で帰っていたとき、車中に強烈な異臭が漂いました。
運転をしていたNの父親が「誰か犬のウンコ踏んでないか?」とみんなに聞いてきました。

俺は(あーもう!くせーなー、誰だよ?)と思っていたんですが、俺の靴裏にべったりウンコが付いてました。

2秒考えて

「俺は踏んでないです」と嘘ぶきました。きっと(車から降ろされる!)と思ったんだと思います。

一瞬で嘘がばれて案の定車から降ろされました。
砂に靴を擦りまくって何とかまた車に乗せてもらえることができました。

その日からかな?俺がウンコ嫌いになったのは。

おわり

↑ぐちゃっ

Posted at 17:52 | エッセイ | COM(14) | TB(0) |
2006.09.17

台湾旅行記

今日でバイト三連勤が終了しました。
今日は長崎に台風上陸ということで少し早めに帰らせてもらえました。
現在、風が吹き荒れてます。停電にならないことを祈ります。
リンクのみなさんへのコメントはこの記事を書き終えたらさせていただきます。
俺の記事に対するコメントへの返事もこの記事を書き終えてからしたいと思います。


今日は俺が小学校4年生の頃、家族旅行(両親、俺、弟の4人)で台湾に行ったときの話を書きます。

ある朝、母さんが俺と弟にこう言いました。

「来月台湾旅行に行くわよ。近いけど海外旅行よ。」

「タイワン?タイ・・・・ワン」

その当時4年生だった俺はアホだったので、台湾がどんな国なのか全く知りませんでした。


知らないどころか完全にタイと勘違いしていました。


ちょうどその前年に米不足が起こり、各地でタイ米が売られ、そのタイ米の中にはネズミやゴキブリが大量に混入していたという話を聞いたことがあったので、俺のタイに対するイメージは最悪なもんでした。

そして

「タイワン嫌だ!行きたくない!」と、今思えば家族旅行を計画した両親に対して最低の発言をしました。

母親はドライに
「あっそ、じゃああんたはお留守番ね」と言い放ってきました。


oHc.gif


「嫌!じゃあ行く!」


結局行くことになりました。小学生なんてそんなもんです。

そしていざ出発の日、俺はまだタイ旅行だと勘違いしたままです。

初めて飛行機に乗れるということにテンションの上がった俺は

「雲の上に行く?雲の上?」

と何度も両親に尋ね、とても可愛らしかったです。うん、可愛いよね。


福岡空港で出国手続きを済まし、飛行機の中に乗り込みました。

アテンションプリーズアテンションプリーズ

いよっ!待ってました!

さぁ念願の離陸です。俺は窓にかじりついて外の景色を見ていました。

「あ、飛んだ!飛んどるよお父さん!この飛行機飛んどる!」

と当たり前のことで騒いでました。

お父さんはその時内心恥ずかしかったかもしれません。

しかし離陸直後、自分の身体の異変に俺は気付きました。

(み、耳が痛い!!尋常じゃなく痛い!)

気圧の変化で耳が圧迫され、みんなの話すことが遠くで聞こえるような感覚になり、俺は

「耳が壊れた!!」と叫びました。

お父さんはその時内心恥ずかしかったかもしれません。

その後も耳の調子がおかしいことが恐怖で「死ぬ、俺絶対死ぬ」とマイナスフラシーボ効果の渦へ飲み込まれていきました。


俺は機内食も食べずに、ずっと泣いていました。


2時間半後、台湾に到着した瞬間俺は

「耳から汁が出た!嘘じゃない!耳が痛くて、あまりの痛さに汁が出た!」

と両親に叫びました。

俺からしてみたらケロっとしている両親と弟が愚かな人間に見えていました。

今思えば愚か者は俺一人でした。



空港には現地の通訳の方が迎えに来てくれていました。

このときの台湾旅行はツアーだったのですが、ツアーの客が俺の家族のみでした。

こんなツアーってあるもんなんでしょうか?

よく分かりませんけど、ツアー用のバスに家族4人と通訳1人の計5人で乗り込み、無駄に広いバスだったことと

「お客サン、今回のツアー貸切ネ、オメデトウ。3日間通訳シマス。ヨロシクお願いシマスネ」

と通訳がバスの中で言ってたことを良く覚えています。

まずはホテルにチェックインしました。

日本では絶対に泊まれないような高級ホテルでした。

昔あった『お金がない!』という織田裕二主演のドラマの中に出てきた外資系の保険会社ユニバーサル・インシュアランスのようなホテルでした。

オバザトラーボー!死んでーもー!俺のー腕を放すなー!っていう主題歌です。

どうやらこのドラマと『ランチの女王』と『カバチタレ』が福岡のドラマ再放送ではヘビーローテーションなようです。

話を元に戻します。

ホテルに荷物を置いてから、早速観光地を巡りました。

でもほとんどの観光地について覚えていません。

初日に食べた台湾うどんとレンコンジュースが吐くほど不味かったことははっきりと覚えています。

通訳の大馬鹿野郎が
「おいしいデショ?」と聞いてきたので

「はい」と嘘をつきました。


台湾旅行2日目、この日やっと俺は台湾がタイじゃないことに気付きました。

そしてこの日は生涯忘れることのできない日になりました。

その日は、國立故宮博物院を観光していました。

この博物院は中国の歴史がたっぷりと詰まった恐ろしくでかい博物館です。

その博物館内を2時間ほど見学した後、外の中華式庭園「至善園」を散歩していました。

その時お父さんは後ろ歩きをしながら俺と弟が庭を歩く姿をビデオカメラで撮影していました。

ビデオカメラを意識しながら俺と弟は歩いていたのですが、ある通りで、ビデオカメラごと突然お父さんが視界から消えました。

oHc.gif


そして


バッッシャーーーン!!!!


という音が辺りに鳴り響いたのです。

次の瞬間お父さんが

「ぷはっ!!おぇっ!!」

と言いながら鯉の泳ぐ池から顔を出しました。


お父さんは異国の地で池に背面ダイブしたのです。

俺と弟は鯉の池から上がろうとするお父さんに慌てて駆け寄り

「大丈夫?」

と優しい言葉をかけましたが

周りに大量にいた観光客からクスクス笑われていることに気付き、心の底から恥ずかしくなりました。台湾の幼稚園児にいたっては爆笑していました。

通訳はものすごく慌てふためいていました。

池から救出されたお父さんは世界で一番かっこ悪かったです。

お父さんは首にカメラもぶら下げていたため、映像も写真も全く残らない海外旅行になりました。

おそらく故宮博物院で鯉と泳いだ日本人はお父さん一人だと思います。

おわり

↑ぷにゅ

今回は子供のときの話なので親父のことをお父さんと表記しましたがもちろん同一人物です。

Posted at 23:57 | エッセイ | COM(13) | TB(0) |
2006.09.15

姉を訪ねて三千里へのコメント

これはリンクのとりじろうさんの書いた姉を訪ねて三千里という記事に対してのコメントです。あまりにも長文に(そしてあまりにも感動的に)なってしまったのでここに貼り付けました。まだとりじろうさんの記事を読んでない人は読んでみてくださいね。



遊びたいんだもんって可愛いですね。かーわいい!

そーいえば俺の弟もいなくなったことがありましたよ。

俺が小学三年、弟が一年生の頃でした。

その日は俺と弟(コウタ)以外の家族が全員外出していた日で、二人でお留守番をするはずでした。

しかし、学校が終わってすぐ帰ってくるはずの弟が16時過ぎても帰ってこない・・・。

おかしい、どうしたコウタ?
17時が過ぎました。辺りは薄暗くなってきます。

俺は悪い予感に襲われ泣きながら家を飛び出しました。泣きながら小学校まで行き、通学路をくまなく探しました。弟が立ち寄りそうな場所も探しました。

どこにもいません・・・小学校3年生の俺にはもう泣くしかありませんでした。

家に帰って神様に
「コウタを無事で帰してくれたら俺の宝物のキラカードも全部神様にあげます!」と泣いてお願いしました。

19時が過ぎた頃、まだ俺は泣いていました。

そして大人の人に相談しなきゃと思い、向かいの家の山田のおばちゃんに泣いて事情を説明しました。

「あら、それは大変ねー、お父さんかお母さんの連絡先は分からない?」

「えっくひっく、わがりまぜん、えっくえっきゅ」

「あら、じゃあ誰か分かる親戚の電話番号はない?」

「えっく、太郎君家の・・えっく、家の、ひぐ、電話番号なら、ひっく、わがりばす、えぐ」

(太郎君は近所に住んでいたいとこです)

「あら、じゃあその電話番号におばちゃんと一緒に電話してみようね」

「は、はっぁい」

プルルルルルル

「はい、内村ですけど」

「もしもし、私○○さん家の向かいに住んでいるものなんですが、今キッチン君がコウタちゃんがいなくなったって言って泣いてるんですよね、何か分からないですかね?」

「あら!本当ですか?コウタ今うちで寝てますよ!」

「え?本当ですか?、キッチン君、コウタちゃん太郎君の家にいるみたいよ」

「電話かわっでくざざい、えっく」

「もしもじ、キッチンです、コウタおばちゃんの家にいるんですか?えぐえぐあーん!!あーん!!」

この時、安堵感から猛烈に号泣してしまいました。

そこから先は山田のおばちゃんが事情を聞いてくれました。

弟は学校で具合が悪くなり、早退をすることになったそうです。
でも家に親がいないことを覚えていたので、保健の先生に「家には誰もいません」と言ったみたいです。

すると保健の先生は山田のおばちゃんと全く同じ質問をコウタにして、太郎君の家の電話番号を聞き出したそうです。

そして無事太郎君のおばちゃんに学校に迎えに来てもらって太郎君の家で寝ていたというわけです。

俺はその日の夜、再会したコウタに宝物のキラカードをあげました。

多分あげたはずです。俺の記憶ではあげています。あら?あげたかな?

ちなみにいとこの太郎君は現在耳たぶにピアスの変わりに五寸釘を曲げて刺してるようなファンキーな人です。

by: キッチン | 2006/09/15 19:48 | URL [編集] |page top↑

Posted at 19:58 | エッセイ | COM(14) | TB(0) |