2006.11.30

ドロヘドロ

みなさんお久しぶりです。
最近は毎日卒論書いてるだけで何のイベントも起きてないです。
書くことがないっていう意味です。

また俺の過去の話をちょっとだけ書きます。今日の内容は誰にも同意を得れないと思います。


泥だんごの思い出

俺はこの時期になると小学生の頃に泥だんごを作ったことを思い出す。
誰がいつ始めたのかはさっぱり分からないが、泥だんご製作は俺と一緒に登下校していたグループの中では冬の風物詩的な行事だった。

「寒くなってきたな、今年もそろそろ始めるか」

「そうやね、もうそんな時期か。じゃあ今日の放課後開始ね」

↑こんな感じ。

泥だんごにも色々な種類がある。とりあえず丸めて人に投げつけて遊ぶやわらかくて大きなもの、こぶし大の大きさに丸めて磨き上げて光沢を出し、飾って楽しむもの等である。

数ある泥だんごの中で俺達が目指した泥だんごは硬い泥だんごだった。とにかく硬い泥だんごを作ることに俺達は夢中になった。
なぜ硬い泥だんご作りに執拗にこだわったのかはさっぱり思い出せない。

ただ、一番硬い泥だんごを作った奴に毎年尊敬の眼差しが注がれていたのは間違いない。あほ過ぎる。

泥だんごを硬く鍛える期限は1週間。その1週間に俺達は自分の全存在をかけて泥だんごを硬く鍛えた。

硬い泥だんごを作る上での一番のポイントは当然土選びである。粘りのある粘土質の土を選ばなくては硬い泥だんごは作れない。

小学校の焼却炉付近の土手の土が鉄分を多く含んだ赤色の粘土(通称:あかつち)で、ベストオブ土だった。
林の中の、腐敗した植物などを多く含んだ土(通称:くろつち)を使ったりしたらその時点で負けは決定である。

「俺、今年はくろつち使ってみようかな?」なんて言うやつはただのあほだ。でくのぼうだ。勝手に使えば?って感じ。

当然全員あかつちを選んで泥だんご作りはスタートするのだが、この時重要なのは最初に丸める土の量である。作る泥だんごに大きさの指定はなかったのだが、いきなり多くの土を使い、大きな泥だんごを作り始めてしまうと核(コア)の部分が鍛えられずやわらかい状態になってしまう。

そこで、誰もが最初は小さな泥だんごを作成した。核になる部分をまずは硬く鍛えたのである。

俺も当然その手法を取っていた。そして性格上誰よりも完全な球体を目指した。初日はひたすらビー玉くらいの大きさの泥だんごをぎゅーーー!!っと握りつぶし、密度を高めた。そうして徐々に球体に仕上げていった。
家に着いたらストーブの上でころころ転がしながら焼いた。粘土は焼けば硬くなる気がしていたのだ。実際硬くなるのかは未だに知らない。

翌日は朝から焼却炉の中に泥だんごを放置していた(昼休みにゴミと一緒に焼かれる)。
泥だんごの中に空気が残っていたものはこの時点で割れてしまう。焼却炉で泥だんごを焼くのはなかなか勇気がいったが、最強最硬を目指すものはみんな同じことをしていた。

放課後、焼却炉から自分の泥だんごを取り出し、割れていなかった場合は灰をたくさんまぶして、さらに赤土を足して大きくしていく、これを4日間くらい繰り返し、最終的にはピンポン玉ほどの大きさの硬い泥だんごとなるのである。

この時点で、自分の泥だんごに対する愛着が半端ではない。恋人の感覚である。寝ても冷めても泥だんごのことだけを考えてしまう。俺は自分の泥だんごにアポカリプスという名前まで付けていた。

そんな泥だんごへの想いが最高潮に達したとき、期限の1週間を迎えるのである。

誰の泥だんごが一番硬いのか?そんなどうでもいいことを決定しなくてはならない。

誰もが自分の泥だんごとの別れを惜しんでいるのは目に見えて分かるのであるが、これがルールであり、勝負の世界である。

その日、俺達は涙を堪えながら自分の泥だんごを力いっぱい壁に投げつけなければならなかった。何回投げつけたところで粉々になるかによって勝負は決まった。

今思えばこの決定の仕方は絶対おかしいと思うが、当時は理にかなった勝負のつけ方だと思っていた。

優勝者の泥だんごすらも手元には残らない勝負が終わり、誰かがこう言う。

「それじゃ、また明日から泥だんご作り開始ね」

「うん」

おわり


今日の記事も死ぬほど面白くないですね。もう何がなんだか。

Posted at 16:32 | エッセイ | COM(17) | TB(1) |
2006.11.20

俺の好きなスポーツは野球

今全裸で記事書いてます。

嘘ですけどね。

こんな夢を見ました。

俺とちびまる子ちゃんが一緒にスロットしながら遊んでいたら、たまちゃんとたまちゃんのお母さんがやってきた。

そして、たまちゃんのお母さんが
「今日たまえの散髪したの、780円でまるちゃんの髪も切ってあげるわよ、安いでしょう?」
と話しかけてきた。

俺は(780円は安くていいなー)って思ったけど、さっきまで笑っていたまる子が号泣しながら
「絶対やだ!!」と叫び散らし出した。取り乱し方が半端じゃなかたので、俺はまる子をぎゅっと抱きしめてみたけど泣き止まなかった。

ふと、たまちゃんを見てみると坊主だった。

そして俺はたまちゃんも抱きしめた。

おわり


こんな記事誰がコメント残すん?って感じですね。

以前のサッカー少年の夢という記事のコメントで
「キッチン君はサッカー少年だったの?」という質問がかなり多かったので答えてきますね。

俺が小学校1年生のとき、空前のサッカーブームが訪れました。
俺は流されやすいのですぐにサッカーに食いつきました。

カズダンスとかビスマルクのお祈りのマネしたりする小学生だったと思います。今そんなやつ見かけたら殴りたくなりますね。

そんな感じで小学校2年生まで放課後に近所の公園で毎日友達とサッカーしていました。ただし、下手くそでした。

小学校3,4年生の頃はいとこの影響で柔道を習い始めました。月、水、金曜日は道場に通っていました。
別にそんなに柔道なんかしたくなかったんですが道着がかっこいいなーって思ったんです。
親に頼んで通わせてもらったのに半年で辞めたくなりました。

俺の親父は空手を習っていた影響で格闘技にすごくうるさい人でした。俺は毎回エンジョイ柔道をしていたんですが、親父が見に来たときだけは鬼気迫る柔道をしていました。
女の子に負けようものなら悔し涙を流すふりまでしました。

パセリのような匂いが口からするおじいちゃん先生とやる柔道が一番楽しかったのを覚えています。臭かったですけど楽しかったです。

同じ道場に通う、他の小学校の友達もできました。荻野兄弟です。姉と弟の兄弟でした。姉のほうが俺と同じ歳で強かったです。
俺もたまには勝ちましたよ。

この兄弟と一緒にバスで帰っているときにマグロのトロを食べたことがあるかないかでケンカになりました。

この兄弟はマグロの赤身のことをトロと言っていました。俺はミスター味っ子を読んでいたので、赤身とトロは同じマグロでも全く違うと説明をしました。「値段、味、色、全てが違う!!」と豪語したのです。食べたことないにも関わらずトロについて熱く語りました。

そしたら「じゃあ今度トロ食べさせてあげる!」と荻野姉が言ってきました。

俺は「だからお前の言ってるのはトロじゃねぇっての!!」と言い返しました。

「意味が分からない」と言われました。

みなさん間違っているのは俺でしょうか?

この兄弟とはその後はケンカすることもなく道場では一番の仲良しでした。
このケンカを思い出すたびに内容のくだらなさに恥ずかしくなります。今の俺がそのバスに乗っていたらトロについて熱く語る小学生にメンチ切ります。

柔道を習っている間も公園でのサッカーは続けていました。木、土、日曜日は公園でサッカーです。

あれ?火曜日は?と思った方にお答えします。火曜日は習字を習っていました。習字は小学校の6年間続きました。
俺は毛筆5段、硬筆4段です。でも別に俺の字は上手くないです。お手本を写すのが上手かったんです。えっへん。

小学校5年生に上がる間際のある日、俺がエンジョイ柔道をしていたら親父にその現場を見つかってしまいました。

そして・・・親子の壮絶なる語らいの末、俺は柔道を辞めました。

荻野兄弟が俺との別れを惜しんでくれたことが嬉しかったです。何よりも柔道を辞めれたことが嬉しかったです。
これでまた毎日サッカーができる!

そう思ったのもつかの間、公園でサッカーをしていた友達がぞろぞろとサッカーチームに入り始めました。そう、知る人ぞ知るグリーンフィールズです。

柔道も辞めた俺はグリーンフィールズに入りたくて仕方なくなりました。

そこで両親に相談してみました。すると「お前が本気ならいいぞ、やりたいことは何でもやれ」とあっさりOKでした。

今回はサッカーだ、俺サッカー好きやもん、大丈夫!と思っていたんですが、チームに入団して気付きました。

(俺そんなにサッカー好きじゃねーな)

これは俺の中では衝撃の事実でした。友達と公園でやる4対4くらいのオフサイドなし、全員フォワードみたいなエンジョイサッカーが好きだったのです。

しかもチームに入ってからもらった背番号が26番。
この日から嫌いな数字は26番になりました。何て中途半端な数字・・・。もう好きにしてくれって感じで続けていたんですが、1年間続けてもリフティングの最高回数は4回でした。どうやら俺はサッカーが下手くそ過ぎたようです。

小学校6年生のある日、友達とグリーンフィールズの練習をサボって遊んでました。

すると、サッカー教室の先生が俺の家に電話して
「キッチンくんが来てないですが、どうしました?」と聞いてきたそうです。実に嫌な先生です。

俺はわざわざ公園でユニフォームを汚して帰ったというのに、家に帰ったら全てがバレていました。

汚れたユニフォームが俺を見て笑っていました。26番のくせに。

親父は怒り狂って俺を叱りました。
そして、グリーンフィールズにも別れを告げる結果となりました。

俺は今ではサッカーに全く興味がないです。ワールドカップもふーんって感じでした。

田中マルクス闘莉王って選手は名前が面白いなって毎回思います。それくらいです。

おわり



2006.11.15

泣き虫

短文だったので、今日は2本立てです。

小学校の頃のクラスメイトにI田君っていう泣き虫の男の子がいました。
ものすごい泣き虫な子でした。

俺の足に勝手につまずいて転んだときも

「・・・えくえっく・・わー!キッチン君が足引っ掛けたーー!!」

と先生に泣き叫びました。

俺は何が何だか分からなかったです。

他には、I田君が鼻くそをほじるのをぼーっと見ていたのがバレただけで号泣されたことがありました。

俺は何が何だか分からなかったです。



そんなI田君



昨年、駅で女子高生の下着を盗撮して捕まったそうです。


おわり

↑おそらく号泣

Posted at 16:10 | エッセイ | COM(25) | TB(0) |
2006.11.15

玉突き事故

あー、本当に書くことがない。
最近色々忙しくなってきました。卒業論文とか本当にめんどくさいですね。どこの誰が考えたシステムなんでしょうね。考えた人の首にロープ絡めて木に吊るしたいですね。

うひひひひ

さぁ!今回は珍しくブラックに始まりました!
さっき自殺問題の記事書いたんですけどね、暗すぎたので夢の彼方へ捨ててきました。
さよオナラ

買って4ヶ月なんですがすでにパソコンの調子が悪いです。今度修理に出すことになりました。
その間は冷やせば使える超ハイスペックマシーンを復活させて使用するかもしれないです。3分おきに冷やしながら。あーーーん!!!


別に書くこともないので先週の話です。

俺が近所のスーパーを歩いていたらローラースケートのような靴を履いた女の子が俺のちんこにカツーンとぶち当たってきました。

その場で「いてぇよー!!」と泣き叫びたかったんですが、何事にも動じない男の中の男というイメージを崩すのもよくないと思ったので、ぐっと我慢しました。

すぐに母親らしき女性が
「す、すみません!大丈夫ですか?」と聞いてきました。

僕の何が大丈夫ですか?って聞いてるの?ナニが心配なの?

さあ言ってごらん!さあ!君のお口から聞きたいんだ。

やっぱり俺は少し変態なんでしょうか?

おわり

↑やっぱ自殺の記事載せりゃよかったかなー

Posted at 15:58 | 日記 | COM(15) | TB(0) |
2006.11.09

そこはかとなく書きつくってみる

11月3日〜5日にかけての日記です。

すでに知っている人も多いと思いますが、11月3日にリンクのといめ日記管理人のといめさんが静岡県から九州に住むリンクの友達に会うためにはるばるやって来ました。

どうやら暇人のようです。

といめ日記のリンクで九州に住んでいる俺はドキドキしながら会う日を楽しみにしていました。
3日の夕方にといめさんは博多駅に到着する予定になっていたので、迎えに行くことにしました。

人見知りの俺は、といめさんから博多駅に着いたという電話があった時、(わー、もう半径500m以内にいるんだ。あー逃げたい)と思いました。

しかし、逃げるわけにはいきません。俺は覚悟を決めました。

覚悟を決めた男の表情に女は弱いものです。

さて、そんなこんなで通話しながらお互い近づこうということになりました。

「今どこ?」
「東口って書いてある〜」
「ん?俺も今東口におるよ、○○ドールってパン屋さんない?」
「ない〜!」
「・・・そこ何階?」
「うーん、1階かなぁ〜」

俺はアホでした。といめさんは新幹線で来ていたのです。新幹線乗り場の東口へ向かうべきでした。

「じゃあパン屋の前で待ってるから来れる?いい匂いのほうにパン屋はあるはずやけん」
「パン屋ね、分かった〜」

このとき、すれ違うケータイで通話している全ての人がといめさんに見えました。

そして、ついにといめさんを発見しました。しかしまだといめさんは俺に気付いてない様子。これはチャンス、じっくり観察してやろう。もしかしたら鼻くそくらいほじるかもしれない。

無理でした。

すぐにパン屋の前で接触することになりました。
このときの俺の緊張は小学校の学芸会でかぐや姫のじじい役をした時を超えていました。

結局顔を直視することはできませんでした。日本に来たばかりの留学生くらいの言語能力で一言二言話し、車に向かいました。今思えば異常に速いペースで歩いてしまったと思います。マッハ4くらいかな?

その後、リンクの落ち着けばそうでもない世界管理人の清水のアパートへ向かい、3人でお菓子を食べながら色々な話をしました。写真もたくさん撮りました。
清水のことをここで書くと死ぬほど長文になるので割愛しときます。

俺の緊張もこの辺から徐々に解けていき、やっとといめさんを見ることができました。ピンク色の服を着ていました。そして小さかったです。
ピンクの小粒コーラックという便秘のお薬を思い出しました。想像通り若くて可愛かったです。

2541367-1.jpg

清水は長身なので二人が並ぶとポテロングとチートスのようでした。

あー、分かりにくい上全然うまくないこれ。

そんなこんなで時間はあっという間に経ち、といめさんを友人の家に送り、俺は家に帰りました。

翌日、佐賀県伊万里市に俺とリンクのmy-paceでいこう・・・管理人のakkonさんとといめさんが集合しました。akkonさんとは以前お会いしたことがあったので何の緊張もせずに話すことができました。
akkonさんとといめさんはこのときが初顔合わせだったにも関わらず妙に打ち解けていて、少し悔しかったです。

akkonさんは長身の美人さんで相変わらず若かったです。

akkonさんの家で手料理をご馳走してもらい、うめーッス!マジ感動ッス!と、といめさんと二人で興奮した後、3人でハウステンボスに行きました。

ハウステンボスは長崎県佐世保市にあるヨーロッパをモチーフにしたテーマパークで、町並みや庭園、花畑など、景色がとても綺麗で何度来てもウキウキする場所です。

akkonさんはハウステンボスのVIP会員?のような人で、akkonさんの連れというだけで入場料は割引になり、フリーパスでも通常よりも安く入ることができました。駐車場もタダです。

akkonさんが少し光って見えました。

お昼の2時くらいから夜9時くらいまでアホな話ばっかりしながらぶらぶらぶらと園内を歩き回りました。

夜はイルミネーションも最高に綺麗で心が洗われました。

VFSH0011.jpg   IMG_sss.jpg

園内のイタリア料理のレストランで夕食を食べたのですが(ピザとパスタとリゾット)、akkonさんが男か女か分からないサービススタッフを見つけ
「あの人はウェイターかな?ウェイトレスかな?」
と、どうでもいい疑問を持っていました。

この日はakkonさんの家に泊まらせてもらいました。

akkon家の3兄弟は想像をはるかに超える元気なやつらで深夜でもお構いなしにギャーギャー騒ぎまくっていました。

俺も一緒になって騒ごうかと思いましたがakkonさんのゲージが溜まり、もうすぐ超必殺技を出しそうだったので大人しくしていました。

子供と一緒になって騒いでいたといめさんはakkonさんに怒られていました。やったぜ!

翌日は佐賀のバルーンフェスタに気球を見に行きました。朝4時起きです。5時出発です。頭がとろけそうでしたが、何とか起き、車を佐賀市まで走らせ、バルーンフェスタの会場に到着することができました。

フェスタの内容は圧巻でした。綺麗な色のバルーン(気球)が100個近く大空を舞う光景は目を奪われました。

ただし、めちゃんこ寒かったです。akkonさんの子供ちゃん達が着ていたフリースのコートを奪ってやろうかとも考えましたが、akkonさんに殴られそうだったのでやめておきました。

出店で焼きそばを買って食べたのですが、なぜ屋台の焼きそばはあんなにもおいしく感じるのでしょうか?美味しんぼんもびっくりの味でした。

VFSH0021.jpg   VFSH0023.jpg

バルーンを見終わった後は、辛いですが別れの時間です。あっという間の3日間、すごく充実した連休でした。

またみんなと遊びたいです。

おわり

↑九州への扉

今日の記事はといめ日記とmy-paceでいこう・・・と照らし合わせて読んでみると面白いかもしれません。
http://shinanakoushina.blog71.fc2.com/blog-entry-242.html
http://threebrothers.blog56.fc2.com/blog-entry-181.html

Posted at 20:31 | 日記 | COM(28) | TB(0) |
2006.11.08

サッカー少年の夢

みなさんお久しぶりです。
最近色々と忙しくてブログの更新ができませんでした。みなさんのブログも訪問できなくてすみません。近々寄らせていただきます。

今日は小学校2年生の時に地元のPK(ペナルティーキック?)大会に友達と5人で出場したときの話です。サッカー好きの方はよだれが止まらない記事になると思われます。

PK大会に出たときの俺らのチーム名は「オヤジーズ」でした。
今思うと吐き気がするほどの面白くない最低のネーミングセンスですが、当時の俺達は「イケル!!」と思ったのです。

ここからはサッカー大好き少年5人組オヤジーズが起こした奇跡の話です。


試合のほうは1回戦で負けました。


ダサいTシャツを参加賞でもらってそそくさと帰ることになったオヤジーズ。

チームリーダーNの親の車で帰っていたとき、車中に強烈な異臭が漂いました。
運転をしていたNの父親が「誰か犬のウンコ踏んでないか?」とみんなに聞いてきました。

俺は(あーもう!くせーなー、誰だよ?)と思っていたんですが、俺の靴裏にべったりウンコが付いてました。

2秒考えて

「俺は踏んでないです」と嘘ぶきました。きっと(車から降ろされる!)と思ったんだと思います。

一瞬で嘘がばれて案の定車から降ろされました。
砂に靴を擦りまくって何とかまた車に乗せてもらえることができました。

その日からかな?俺がウンコ嫌いになったのは。

おわり

↑ぐちゃっ

Posted at 17:52 | エッセイ | COM(14) | TB(0) |
2006.11.03

カップル日和

普通の記事書くの久しぶりですね。自由っていいな、何書いてもいい!日本に生まれてよかった!あなたに会えてよかった!

はい、じゃあ記事書きますね。

先日街を歩いていたら、とある映画館の前で
「毎週月曜日はカップルデー!カップルは2人で2千円」という看板を見かけた。

通常映画を観ようと思ったら大人一人1800円である。(俺は学生だから1500円だけど・・)ということは、2人で2千円ってのはかなりお得だと言える。一人800円も安く映画が観れるというのだ。

何てすごいサービスだこれ、よだれが止まらん。

彼女のいない俺がこの日安く映画を観るには、一人で映画を観に来た女性を待ち、「一緒にカップル割引しませんか?」と声をかけなければならない。

相手が母親ほどの歳のおばさんだったりすることもあるかもしれない。
死ぬほどキュートな女の子が当然ベストであるが、そんな子が一人で映画館に来るわけがない。

贅沢なんて言ってられない。800円も安くなるのだ。
一人で映画を観に来た人が女性だっただけでありがたいと思うべきだろう。

結局俺は一人で映画を観に来るおばさんを待つのだ。

そしてついにその瞬間が!ざまーみろ!一人で映画を観にきたおばさんだ!

そのおばさんに声をかけ、二人は意気投合!誰から見ても完全なカップルだ。二人でチケットを買うときに「カップルです」と言う。
たったそれだけのこと、チケットさえ千円で手に入れば後はこのおばさんがどうなろうと知ったこっちゃない。

しかし!もしも係員が親子ほど歳の離れた俺ら二人のことをカップルかどうか疑ってきたらどうしよう?
最終的にキスを要求してきたらどうしよう?

俺は「人前でそんなことはできない」と断るだろう。

しかしその時、ふとおばさんを見てみると完全にキスを待っているのだ。

その様子を見て係員が調子こいて
「おーまかせ!おーまかせ!」とキスコールをしてくるだろう。

俺、どうするんやろうか?しちゃうかな?ぶちゅっと。


そんなどーでもいいこと考えました。

おわり

↑ぶちゅっ

Posted at 00:01 | 妄想 | COM(24) | TB(0) |
2006.11.01

九州一周旅行(最終日)

今回で旅行日記も最終回です。
嬉しいような、悲しいような。最終日はイベントほとんどないです。
さらーっと読んでみてください。
佐賀〜佐世保篇ですね。

9月25日月曜日

最終日ともなると、車の中で眠るのは慣れてきたのだが、この日は寒さが厳しくほとんど眠ることができなかった。
早朝5時ごろ寒すぎて完全に目が覚めてしまった俺はコンビニでカップラーメンを食べて温まることにした。(おでんはまだ準備中だった)

ザルルルルー!!

さて、身体はそこそこ温まったところで、かなり早いが吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)に行くことにした。吉野ヶ里遺跡はかなり有名な弥生時代の遺跡である。

TO GO!!!

遺跡には1時間足らずで到着したのだが、どうやら早過ぎたようで駐車場が閉まっていた。開園は午前9時で、3時間後である。

そこで俺は車を路肩に止めて眠ることにした。
この時は古代人も驚くほどの快眠だった。起きたのは10時過ぎだった。

しまった!寝過ごした!別にいいや!

ということで駐車場に車を止め、ついに吉野ヶ里遺跡を見学することになった。
入場時に受付のお姉さんから、本日はどちらからこられましたか?と聞かれ、んー、今日は佐賀から来たけど昨日は大分にいたしな、出身は北九州だけど今は長崎に住んでるし・・・・とかしばらく考えていたら、この不審者め!遺跡に何の用だい!という目で俺のことを見てきた。

どこの世界にこんなに素敵な不審者がおるんか!
片手にキューピー人形持っとるくらい可愛いのに。ね?

さてさて、とりあえず入場を済ませ、古代人の育った家(竪穴住居)を見学したりして、弥生時代に思いを馳せてみた。

「今日の晩御飯なに?」
「カエルご飯よ」
「またカエルかよー!父ちゃん俺ウサギが食べてーよ」
「うるせー!黙れ坊主!なぁ母ちゃん新しい弓矢買ってけろ」
「何言ってんのよ、うちにそんな余裕があるわけないでしょ?あんたが佐藤さんとこのご主人みたいに猪でも狩ってきてくれれば家庭も助かるんだけどねー」

ちなみに佐藤さん使用の石斧めっちゃ高級品。卑弥呼の弟と同じモデル。めっちゃ斬れる。


思いを馳せた後、どーでもいいやと思った。


遺跡を一通り見て回って、飽きてきた頃に
「発掘現場見学できます」
という看板を発見した。

まだまだ発掘作業の続いているこの吉野ヶ里遺跡、その発掘現場を見学できるということだった。
幼い頃、近所のおっさんから「きっと将来は偉い学者になるぞこの子は!」と言われたことのある俺が見学しないわけにはいかない。と思ったので発掘現場まで500mほど歩いて行ってみた。

発掘というものは学者達が細心の注意を振り払いながら地面を物々しい道具を使用して堀り進めているイメージがあったのだが、いざ現場に到着してみると、農作業のような格好をした6人くらいのおじちゃんおばちゃんが100円で売っているようなスコップを使って土器とかガンガン掘っていた。
おそらく彼らはバイトで雇われて発掘作業をしているのだと思う。

見学していたら、せっかくだからお兄さんも掘っていってよと言われて、俺も発掘作業を手伝うことになった。
スコップを渡され、土器のようなものの周りの土をひたすら掘り進めた。一体いつまで掘ればいいんやろうか?俺にこんなことさせて大丈夫なんやろうか?とか考えながら10分くらい掘っていたら、おじさんから、お兄さんその土器全部堀る気?って聞かれた。

そんなわけねーやろーが!早く止めろよ!と言いたかったたが、天使の愛想笑いでスコップを返してその場を立ち去った。

皆さんが吉野ヶ里遺跡を訪れた際には俺が掘った土器があるということを思い出してくださいね。

yosi2.jpg   yosino.jpg

その後吉野ヶ里遺跡を出発し、もう本当に寄るところもないので佐世保に帰ることにした。

途中佐賀の牛丼屋に立ち寄って牛丼を食べた。
牛丼屋の紅しょうがは半分減ったところで上から新しいものを足すと聞いたことがある。
これが本当ならば、紅しょうがケースの一番底の紅しょうがは開店当時のものなのだろうか?

どどどどどーでもいいやー。

びゅーーーん!!

夕方には佐世保に到着し、せっかくなので名物の佐世保バーガーを食べようと思い、トヨタのラクティスという車のCM撮影で佐藤隆太さんが来ていた有名な佐世保バーガーの店に行ってみた。

↓そのCMを見たことない人はこのページの九州篇を見てください。
自由と日本全国とラクティス

店内に入ると、この日もテレビカメラが来ていた。さすが今ブームの佐世保バーガー。どうやら福岡県の民放の撮影だったようだ。

俺はスペシャルバーガー(800円くらいかな?)とジンジャーエールを注文して食べた。豪快に、アメリカンに。

うーまーい!!旅の終わりを告げる佐世保の味である。

baga2.jpg   baga.jpg

店を出た後、1週間ぶりにアパートに帰った。こうして6泊7日の九州一周旅行は終わった。色んな楽しい思い出もできたし、少しは人間的にも成長できたかな?とも思う。次からはもっと計画的に旅行をしたいな、とも思った。

おわり


名所がふんだんに出てくるわけでもない俺の旅行記を読んでくださった皆様に心から感謝します。
今回で旅行記は最終回ですが、大好物のにおいのするキッチンはまだまだ続けていこうと思っています。
この先も末永くよろしくお願いします。

キッチン
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Posted at 03:00 | 旅行記 | COM(18) | TB(0) |