2006.12.28
2006年最後の記事
お久しぶりです。
コメント返しやら、皆さんのブログへの訪問がおごそかになっているキッチンです。
今月は本当に忙しくて忙しくてブログの更新できませんでした。来年、卒論を提出した後に完全復活したいと思います。
そういえば先日、尋常でない長さの鼻毛が抜けました。阿修羅と名づけました。
あまりにも長かったので机の上に置いていたんですが、気付いたら消えていました。
皆さん、そんな悲しい顔しないでくださいよ。
阿修羅のことですから、きっとどこかで元気にやっていると思います。そのうちひょこっと帰ってきてまたあの元気いっぱいの笑顔を見せてくれるはずです。
俺は阿修羅が俺と再会しやすいように毎日笑顔を絶やさないつもりです。泣いてなんかいられないですよ。
というか今はそんなクソ鼻毛のことよりも卒論が完成するかどうかが心配です。
2006年は皆さんのおかげで本当にいい年でした。来年からもよろしくお願いします。
2007年がこのブログ読者全員の飛躍の年となるように祈念して今年最後の記事とさせていただきます。
ありがとうございました。よいお年を!
おわり

↑108回押してください。
コメント返しやら、皆さんのブログへの訪問がおごそかになっているキッチンです。
今月は本当に忙しくて忙しくてブログの更新できませんでした。来年、卒論を提出した後に完全復活したいと思います。
そういえば先日、尋常でない長さの鼻毛が抜けました。阿修羅と名づけました。
あまりにも長かったので机の上に置いていたんですが、気付いたら消えていました。
皆さん、そんな悲しい顔しないでくださいよ。
阿修羅のことですから、きっとどこかで元気にやっていると思います。そのうちひょこっと帰ってきてまたあの元気いっぱいの笑顔を見せてくれるはずです。
俺は阿修羅が俺と再会しやすいように毎日笑顔を絶やさないつもりです。泣いてなんかいられないですよ。
というか今はそんなクソ鼻毛のことよりも卒論が完成するかどうかが心配です。
2006年は皆さんのおかげで本当にいい年でした。来年からもよろしくお願いします。
2007年がこのブログ読者全員の飛躍の年となるように祈念して今年最後の記事とさせていただきます。
ありがとうございました。よいお年を!
おわり

↑108回押してください。
2006.12.01
形而上
昨夜、友人に誘われ近所のファミレスに行ってきました。
誘いの電話がかかってきたとき、すでに俺は夕食を食べ終えていたんですが、デザートでも食べようと思って出かけました。
ティラミスを注文しようと思ったんですが、鍋料理が急に食べたくなって、結局すき焼きを食べました。
食後のデザートにすき焼きを食べたのです。おいしかったでぷ。
隣のテーブルにファミリー客が座っていたのですが、この父親がとにかくうるさかったです。
子供がテーブルに頭をぶつけて泣き出したときに
「へっへっへ!!ざまーみろ!!!」と叫んでいました。
俺は顔を伏せて爆笑しました。久々に笑いを堪え切れなかったです。
するとこの父親は、奥さんから
「あんたのほうががうるさい!!」と怒られていました。
子供はさらに泣き出しました。
俺はさらに笑いました。
ファミレスでは色んな人情劇が繰り広げられているから好きです。
一人で豚バラと枝豆でビールを飲んでいるスーツ姿の若い女性なんかを見かけると勝手に色々なことを想像してしまいます。
おわり

今日、実家のおばあちゃんの部屋でシャワーを浴びる夢を見た。
ご機嫌でシャワーを浴びていたら、おばあちゃんが部屋に入ってきて
「部屋がびしゃびしゃになるやないかね!!」と怒ってきた。
俺は(そりゃごもっともな意見だ)と思ったが、おばあちゃんにちんこを見られたことがショックでただ立ち尽くしていた。
誘いの電話がかかってきたとき、すでに俺は夕食を食べ終えていたんですが、デザートでも食べようと思って出かけました。
ティラミスを注文しようと思ったんですが、鍋料理が急に食べたくなって、結局すき焼きを食べました。
食後のデザートにすき焼きを食べたのです。おいしかったでぷ。
隣のテーブルにファミリー客が座っていたのですが、この父親がとにかくうるさかったです。
子供がテーブルに頭をぶつけて泣き出したときに
「へっへっへ!!ざまーみろ!!!」と叫んでいました。
俺は顔を伏せて爆笑しました。久々に笑いを堪え切れなかったです。
するとこの父親は、奥さんから
「あんたのほうががうるさい!!」と怒られていました。
子供はさらに泣き出しました。
俺はさらに笑いました。
ファミレスでは色んな人情劇が繰り広げられているから好きです。
一人で豚バラと枝豆でビールを飲んでいるスーツ姿の若い女性なんかを見かけると勝手に色々なことを想像してしまいます。
おわり

今日、実家のおばあちゃんの部屋でシャワーを浴びる夢を見た。
ご機嫌でシャワーを浴びていたら、おばあちゃんが部屋に入ってきて
「部屋がびしゃびしゃになるやないかね!!」と怒ってきた。
俺は(そりゃごもっともな意見だ)と思ったが、おばあちゃんにちんこを見られたことがショックでただ立ち尽くしていた。
2006.11.30
ドロヘドロ
みなさんお久しぶりです。
最近は毎日卒論書いてるだけで何のイベントも起きてないです。
書くことがないっていう意味です。
また俺の過去の話をちょっとだけ書きます。今日の内容は誰にも同意を得れないと思います。
泥だんごの思い出
俺はこの時期になると小学生の頃に泥だんごを作ったことを思い出す。
誰がいつ始めたのかはさっぱり分からないが、泥だんご製作は俺と一緒に登下校していたグループの中では冬の風物詩的な行事だった。
「寒くなってきたな、今年もそろそろ始めるか」
「そうやね、もうそんな時期か。じゃあ今日の放課後開始ね」
↑こんな感じ。
泥だんごにも色々な種類がある。とりあえず丸めて人に投げつけて遊ぶやわらかくて大きなもの、こぶし大の大きさに丸めて磨き上げて光沢を出し、飾って楽しむもの等である。
数ある泥だんごの中で俺達が目指した泥だんごは硬い泥だんごだった。とにかく硬い泥だんごを作ることに俺達は夢中になった。
なぜ硬い泥だんご作りに執拗にこだわったのかはさっぱり思い出せない。
ただ、一番硬い泥だんごを作った奴に毎年尊敬の眼差しが注がれていたのは間違いない。あほ過ぎる。
泥だんごを硬く鍛える期限は1週間。その1週間に俺達は自分の全存在をかけて泥だんごを硬く鍛えた。
硬い泥だんごを作る上での一番のポイントは当然土選びである。粘りのある粘土質の土を選ばなくては硬い泥だんごは作れない。
小学校の焼却炉付近の土手の土が鉄分を多く含んだ赤色の粘土(通称:あかつち)で、ベストオブ土だった。
林の中の、腐敗した植物などを多く含んだ土(通称:くろつち)を使ったりしたらその時点で負けは決定である。
「俺、今年はくろつち使ってみようかな?」なんて言うやつはただのあほだ。でくのぼうだ。勝手に使えば?って感じ。
当然全員あかつちを選んで泥だんご作りはスタートするのだが、この時重要なのは最初に丸める土の量である。作る泥だんごに大きさの指定はなかったのだが、いきなり多くの土を使い、大きな泥だんごを作り始めてしまうと核(コア)の部分が鍛えられずやわらかい状態になってしまう。
そこで、誰もが最初は小さな泥だんごを作成した。核になる部分をまずは硬く鍛えたのである。
俺も当然その手法を取っていた。そして性格上誰よりも完全な球体を目指した。初日はひたすらビー玉くらいの大きさの泥だんごをぎゅーーー!!っと握りつぶし、密度を高めた。そうして徐々に球体に仕上げていった。
家に着いたらストーブの上でころころ転がしながら焼いた。粘土は焼けば硬くなる気がしていたのだ。実際硬くなるのかは未だに知らない。
翌日は朝から焼却炉の中に泥だんごを放置していた(昼休みにゴミと一緒に焼かれる)。
泥だんごの中に空気が残っていたものはこの時点で割れてしまう。焼却炉で泥だんごを焼くのはなかなか勇気がいったが、最強最硬を目指すものはみんな同じことをしていた。
放課後、焼却炉から自分の泥だんごを取り出し、割れていなかった場合は灰をたくさんまぶして、さらに赤土を足して大きくしていく、これを4日間くらい繰り返し、最終的にはピンポン玉ほどの大きさの硬い泥だんごとなるのである。
この時点で、自分の泥だんごに対する愛着が半端ではない。恋人の感覚である。寝ても冷めても泥だんごのことだけを考えてしまう。俺は自分の泥だんごにアポカリプスという名前まで付けていた。
そんな泥だんごへの想いが最高潮に達したとき、期限の1週間を迎えるのである。
誰の泥だんごが一番硬いのか?そんなどうでもいいことを決定しなくてはならない。
誰もが自分の泥だんごとの別れを惜しんでいるのは目に見えて分かるのであるが、これがルールであり、勝負の世界である。
その日、俺達は涙を堪えながら自分の泥だんごを力いっぱい壁に投げつけなければならなかった。何回投げつけたところで粉々になるかによって勝負は決まった。
今思えばこの決定の仕方は絶対おかしいと思うが、当時は理にかなった勝負のつけ方だと思っていた。
優勝者の泥だんごすらも手元には残らない勝負が終わり、誰かがこう言う。
「それじゃ、また明日から泥だんご作り開始ね」
「うん」
おわり

今日の記事も死ぬほど面白くないですね。もう何がなんだか。
最近は毎日卒論書いてるだけで何のイベントも起きてないです。
書くことがないっていう意味です。
また俺の過去の話をちょっとだけ書きます。今日の内容は誰にも同意を得れないと思います。
泥だんごの思い出
俺はこの時期になると小学生の頃に泥だんごを作ったことを思い出す。
誰がいつ始めたのかはさっぱり分からないが、泥だんご製作は俺と一緒に登下校していたグループの中では冬の風物詩的な行事だった。
「寒くなってきたな、今年もそろそろ始めるか」
「そうやね、もうそんな時期か。じゃあ今日の放課後開始ね」
↑こんな感じ。
泥だんごにも色々な種類がある。とりあえず丸めて人に投げつけて遊ぶやわらかくて大きなもの、こぶし大の大きさに丸めて磨き上げて光沢を出し、飾って楽しむもの等である。
数ある泥だんごの中で俺達が目指した泥だんごは硬い泥だんごだった。とにかく硬い泥だんごを作ることに俺達は夢中になった。
なぜ硬い泥だんご作りに執拗にこだわったのかはさっぱり思い出せない。
ただ、一番硬い泥だんごを作った奴に毎年尊敬の眼差しが注がれていたのは間違いない。あほ過ぎる。
泥だんごを硬く鍛える期限は1週間。その1週間に俺達は自分の全存在をかけて泥だんごを硬く鍛えた。
硬い泥だんごを作る上での一番のポイントは当然土選びである。粘りのある粘土質の土を選ばなくては硬い泥だんごは作れない。
小学校の焼却炉付近の土手の土が鉄分を多く含んだ赤色の粘土(通称:あかつち)で、ベストオブ土だった。
林の中の、腐敗した植物などを多く含んだ土(通称:くろつち)を使ったりしたらその時点で負けは決定である。
「俺、今年はくろつち使ってみようかな?」なんて言うやつはただのあほだ。でくのぼうだ。勝手に使えば?って感じ。
当然全員あかつちを選んで泥だんご作りはスタートするのだが、この時重要なのは最初に丸める土の量である。作る泥だんごに大きさの指定はなかったのだが、いきなり多くの土を使い、大きな泥だんごを作り始めてしまうと核(コア)の部分が鍛えられずやわらかい状態になってしまう。
そこで、誰もが最初は小さな泥だんごを作成した。核になる部分をまずは硬く鍛えたのである。
俺も当然その手法を取っていた。そして性格上誰よりも完全な球体を目指した。初日はひたすらビー玉くらいの大きさの泥だんごをぎゅーーー!!っと握りつぶし、密度を高めた。そうして徐々に球体に仕上げていった。
家に着いたらストーブの上でころころ転がしながら焼いた。粘土は焼けば硬くなる気がしていたのだ。実際硬くなるのかは未だに知らない。
翌日は朝から焼却炉の中に泥だんごを放置していた(昼休みにゴミと一緒に焼かれる)。
泥だんごの中に空気が残っていたものはこの時点で割れてしまう。焼却炉で泥だんごを焼くのはなかなか勇気がいったが、最強最硬を目指すものはみんな同じことをしていた。
放課後、焼却炉から自分の泥だんごを取り出し、割れていなかった場合は灰をたくさんまぶして、さらに赤土を足して大きくしていく、これを4日間くらい繰り返し、最終的にはピンポン玉ほどの大きさの硬い泥だんごとなるのである。
この時点で、自分の泥だんごに対する愛着が半端ではない。恋人の感覚である。寝ても冷めても泥だんごのことだけを考えてしまう。俺は自分の泥だんごにアポカリプスという名前まで付けていた。
そんな泥だんごへの想いが最高潮に達したとき、期限の1週間を迎えるのである。
誰の泥だんごが一番硬いのか?そんなどうでもいいことを決定しなくてはならない。
誰もが自分の泥だんごとの別れを惜しんでいるのは目に見えて分かるのであるが、これがルールであり、勝負の世界である。
その日、俺達は涙を堪えながら自分の泥だんごを力いっぱい壁に投げつけなければならなかった。何回投げつけたところで粉々になるかによって勝負は決まった。
今思えばこの決定の仕方は絶対おかしいと思うが、当時は理にかなった勝負のつけ方だと思っていた。
優勝者の泥だんごすらも手元には残らない勝負が終わり、誰かがこう言う。
「それじゃ、また明日から泥だんご作り開始ね」
「うん」
おわり

今日の記事も死ぬほど面白くないですね。もう何がなんだか。
2006.11.20
俺の好きなスポーツは野球
今全裸で記事書いてます。
嘘ですけどね。
こんな夢を見ました。
俺とちびまる子ちゃんが一緒にスロットしながら遊んでいたら、たまちゃんとたまちゃんのお母さんがやってきた。
そして、たまちゃんのお母さんが
「今日たまえの散髪したの、780円でまるちゃんの髪も切ってあげるわよ、安いでしょう?」
と話しかけてきた。
俺は(780円は安くていいなー)って思ったけど、さっきまで笑っていたまる子が号泣しながら
「絶対やだ!!」と叫び散らし出した。取り乱し方が半端じゃなかたので、俺はまる子をぎゅっと抱きしめてみたけど泣き止まなかった。
ふと、たまちゃんを見てみると坊主だった。
そして俺はたまちゃんも抱きしめた。
おわり
こんな記事誰がコメント残すん?って感じですね。
以前のサッカー少年の夢という記事のコメントで
「キッチン君はサッカー少年だったの?」という質問がかなり多かったので答えてきますね。
俺が小学校1年生のとき、空前のサッカーブームが訪れました。
俺は流されやすいのですぐにサッカーに食いつきました。
カズダンスとかビスマルクのお祈りのマネしたりする小学生だったと思います。今そんなやつ見かけたら殴りたくなりますね。
そんな感じで小学校2年生まで放課後に近所の公園で毎日友達とサッカーしていました。ただし、下手くそでした。
小学校3,4年生の頃はいとこの影響で柔道を習い始めました。月、水、金曜日は道場に通っていました。
別にそんなに柔道なんかしたくなかったんですが道着がかっこいいなーって思ったんです。
親に頼んで通わせてもらったのに半年で辞めたくなりました。
俺の親父は空手を習っていた影響で格闘技にすごくうるさい人でした。俺は毎回エンジョイ柔道をしていたんですが、親父が見に来たときだけは鬼気迫る柔道をしていました。
女の子に負けようものなら悔し涙を流すふりまでしました。
パセリのような匂いが口からするおじいちゃん先生とやる柔道が一番楽しかったのを覚えています。臭かったですけど楽しかったです。
同じ道場に通う、他の小学校の友達もできました。荻野兄弟です。姉と弟の兄弟でした。姉のほうが俺と同じ歳で強かったです。
俺もたまには勝ちましたよ。
この兄弟と一緒にバスで帰っているときにマグロのトロを食べたことがあるかないかでケンカになりました。
この兄弟はマグロの赤身のことをトロと言っていました。俺はミスター味っ子を読んでいたので、赤身とトロは同じマグロでも全く違うと説明をしました。「値段、味、色、全てが違う!!」と豪語したのです。食べたことないにも関わらずトロについて熱く語りました。
そしたら「じゃあ今度トロ食べさせてあげる!」と荻野姉が言ってきました。
俺は「だからお前の言ってるのはトロじゃねぇっての!!」と言い返しました。
「意味が分からない」と言われました。
みなさん間違っているのは俺でしょうか?
この兄弟とはその後はケンカすることもなく道場では一番の仲良しでした。
このケンカを思い出すたびに内容のくだらなさに恥ずかしくなります。今の俺がそのバスに乗っていたらトロについて熱く語る小学生にメンチ切ります。
柔道を習っている間も公園でのサッカーは続けていました。木、土、日曜日は公園でサッカーです。
あれ?火曜日は?と思った方にお答えします。火曜日は習字を習っていました。習字は小学校の6年間続きました。
俺は毛筆5段、硬筆4段です。でも別に俺の字は上手くないです。お手本を写すのが上手かったんです。えっへん。
小学校5年生に上がる間際のある日、俺がエンジョイ柔道をしていたら親父にその現場を見つかってしまいました。
そして・・・親子の壮絶なる語らいの末、俺は柔道を辞めました。
荻野兄弟が俺との別れを惜しんでくれたことが嬉しかったです。何よりも柔道を辞めれたことが嬉しかったです。
これでまた毎日サッカーができる!
そう思ったのもつかの間、公園でサッカーをしていた友達がぞろぞろとサッカーチームに入り始めました。そう、知る人ぞ知るグリーンフィールズです。
柔道も辞めた俺はグリーンフィールズに入りたくて仕方なくなりました。
そこで両親に相談してみました。すると「お前が本気ならいいぞ、やりたいことは何でもやれ」とあっさりOKでした。
今回はサッカーだ、俺サッカー好きやもん、大丈夫!と思っていたんですが、チームに入団して気付きました。
(俺そんなにサッカー好きじゃねーな)
これは俺の中では衝撃の事実でした。友達と公園でやる4対4くらいのオフサイドなし、全員フォワードみたいなエンジョイサッカーが好きだったのです。
しかもチームに入ってからもらった背番号が26番。
この日から嫌いな数字は26番になりました。何て中途半端な数字・・・。もう好きにしてくれって感じで続けていたんですが、1年間続けてもリフティングの最高回数は4回でした。どうやら俺はサッカーが下手くそ過ぎたようです。
小学校6年生のある日、友達とグリーンフィールズの練習をサボって遊んでました。
すると、サッカー教室の先生が俺の家に電話して
「キッチンくんが来てないですが、どうしました?」と聞いてきたそうです。実に嫌な先生です。
俺はわざわざ公園でユニフォームを汚して帰ったというのに、家に帰ったら全てがバレていました。
汚れたユニフォームが俺を見て笑っていました。26番のくせに。
親父は怒り狂って俺を叱りました。
そして、グリーンフィールズにも別れを告げる結果となりました。
俺は今ではサッカーに全く興味がないです。ワールドカップもふーんって感じでした。
田中マルクス闘莉王って選手は名前が面白いなって毎回思います。それくらいです。
おわり

嘘ですけどね。
こんな夢を見ました。
俺とちびまる子ちゃんが一緒にスロットしながら遊んでいたら、たまちゃんとたまちゃんのお母さんがやってきた。
そして、たまちゃんのお母さんが
「今日たまえの散髪したの、780円でまるちゃんの髪も切ってあげるわよ、安いでしょう?」
と話しかけてきた。
俺は(780円は安くていいなー)って思ったけど、さっきまで笑っていたまる子が号泣しながら
「絶対やだ!!」と叫び散らし出した。取り乱し方が半端じゃなかたので、俺はまる子をぎゅっと抱きしめてみたけど泣き止まなかった。
ふと、たまちゃんを見てみると坊主だった。
そして俺はたまちゃんも抱きしめた。
おわり
こんな記事誰がコメント残すん?って感じですね。
以前のサッカー少年の夢という記事のコメントで
「キッチン君はサッカー少年だったの?」という質問がかなり多かったので答えてきますね。
俺が小学校1年生のとき、空前のサッカーブームが訪れました。
俺は流されやすいのですぐにサッカーに食いつきました。
カズダンスとかビスマルクのお祈りのマネしたりする小学生だったと思います。今そんなやつ見かけたら殴りたくなりますね。
そんな感じで小学校2年生まで放課後に近所の公園で毎日友達とサッカーしていました。ただし、下手くそでした。
小学校3,4年生の頃はいとこの影響で柔道を習い始めました。月、水、金曜日は道場に通っていました。
別にそんなに柔道なんかしたくなかったんですが道着がかっこいいなーって思ったんです。
親に頼んで通わせてもらったのに半年で辞めたくなりました。
俺の親父は空手を習っていた影響で格闘技にすごくうるさい人でした。俺は毎回エンジョイ柔道をしていたんですが、親父が見に来たときだけは鬼気迫る柔道をしていました。
女の子に負けようものなら悔し涙を流すふりまでしました。
パセリのような匂いが口からするおじいちゃん先生とやる柔道が一番楽しかったのを覚えています。臭かったですけど楽しかったです。
同じ道場に通う、他の小学校の友達もできました。荻野兄弟です。姉と弟の兄弟でした。姉のほうが俺と同じ歳で強かったです。
俺もたまには勝ちましたよ。
この兄弟と一緒にバスで帰っているときにマグロのトロを食べたことがあるかないかでケンカになりました。
この兄弟はマグロの赤身のことをトロと言っていました。俺はミスター味っ子を読んでいたので、赤身とトロは同じマグロでも全く違うと説明をしました。「値段、味、色、全てが違う!!」と豪語したのです。食べたことないにも関わらずトロについて熱く語りました。
そしたら「じゃあ今度トロ食べさせてあげる!」と荻野姉が言ってきました。
俺は「だからお前の言ってるのはトロじゃねぇっての!!」と言い返しました。
「意味が分からない」と言われました。
みなさん間違っているのは俺でしょうか?
この兄弟とはその後はケンカすることもなく道場では一番の仲良しでした。
このケンカを思い出すたびに内容のくだらなさに恥ずかしくなります。今の俺がそのバスに乗っていたらトロについて熱く語る小学生にメンチ切ります。
柔道を習っている間も公園でのサッカーは続けていました。木、土、日曜日は公園でサッカーです。
あれ?火曜日は?と思った方にお答えします。火曜日は習字を習っていました。習字は小学校の6年間続きました。
俺は毛筆5段、硬筆4段です。でも別に俺の字は上手くないです。お手本を写すのが上手かったんです。えっへん。
小学校5年生に上がる間際のある日、俺がエンジョイ柔道をしていたら親父にその現場を見つかってしまいました。
そして・・・親子の壮絶なる語らいの末、俺は柔道を辞めました。
荻野兄弟が俺との別れを惜しんでくれたことが嬉しかったです。何よりも柔道を辞めれたことが嬉しかったです。
これでまた毎日サッカーができる!
そう思ったのもつかの間、公園でサッカーをしていた友達がぞろぞろとサッカーチームに入り始めました。そう、知る人ぞ知るグリーンフィールズです。
柔道も辞めた俺はグリーンフィールズに入りたくて仕方なくなりました。
そこで両親に相談してみました。すると「お前が本気ならいいぞ、やりたいことは何でもやれ」とあっさりOKでした。
今回はサッカーだ、俺サッカー好きやもん、大丈夫!と思っていたんですが、チームに入団して気付きました。
(俺そんなにサッカー好きじゃねーな)
これは俺の中では衝撃の事実でした。友達と公園でやる4対4くらいのオフサイドなし、全員フォワードみたいなエンジョイサッカーが好きだったのです。
しかもチームに入ってからもらった背番号が26番。
この日から嫌いな数字は26番になりました。何て中途半端な数字・・・。もう好きにしてくれって感じで続けていたんですが、1年間続けてもリフティングの最高回数は4回でした。どうやら俺はサッカーが下手くそ過ぎたようです。
小学校6年生のある日、友達とグリーンフィールズの練習をサボって遊んでました。
すると、サッカー教室の先生が俺の家に電話して
「キッチンくんが来てないですが、どうしました?」と聞いてきたそうです。実に嫌な先生です。
俺はわざわざ公園でユニフォームを汚して帰ったというのに、家に帰ったら全てがバレていました。
汚れたユニフォームが俺を見て笑っていました。26番のくせに。
親父は怒り狂って俺を叱りました。
そして、グリーンフィールズにも別れを告げる結果となりました。
俺は今ではサッカーに全く興味がないです。ワールドカップもふーんって感じでした。
田中マルクス闘莉王って選手は名前が面白いなって毎回思います。それくらいです。
おわり

2006.11.15


